修行中会員みゃあさん

歌う妖怪でございます。

誰が作詞家を殺したか (1)


えっと「作詞家」って言われて、誰を思い浮かべます?

はいはい、秋元康ね。

でも秋元康って、もともと放送作家だし、プロヂューサーでもあるし、総合的業界人って感じで純粋な作詞家とはいい難いよなあ。自分でどれだけ作詞しているかもわかんないし。(おいおい)

で、他は?

んー、んー、て唸ってしまう人も多いと思う。

特に若い人は阿木燿子や森雪之丞も知らなかったりするだろうし。他に松本隆、阿久悠、来生えつこ等々、かつては多くの人が名前を知っていた作詞家の大御所はいた。

世の中の趣味の教室や通信教育に作詞コースなんかも普通にあったし、作詞家を目指す若者なんかもそれ相当にいたと記憶している。

しかし今、作詞家を目指す人なんか、まずいない。ユーキャンだって作詞のコースはない。かくして「作詞家」という職業は消滅しつつある。

考えてみれば不思議でしょ?世の中に出回る曲がそんなに減っているワケではない。CDの売上こそ激減しているが、ネット配信やカラオケが落ち込んでいるという話は聞かない。日々膨大な歌が発表されている中で「作詞家」という職業だけが忽然と消えようとしている。(現実には「作詞」自体がなくなったワケではないと思う。作詞家として表に出る人がなくなったという話)

なぜそんなことになったのか?

理由は簡単に言うと、作詞は誰にでもできるからだ。

「誰でもできる」は「誰でも良質のものできる」とは違う。しかし「良質とそうでないものの差がわかりにくい」ものであれば「誰が作っても差がない」と近似になってしまう。

実際、制作側で「作詞なんてどうでもいい」という風潮はもう数十年前からあった。

現在、ポピュラーミュージックはほとんど曲先で発注される。「曲先」とは何かというと、メロディ、というかアレンジも含めたカラオケが先にできていて、作詞担当は「元歌詞のない替え歌」を作るように歌詞を当てはめていく。それでコンペ(競作)をやって採用するのだが、それの採用を審査するのもサウンド寄りの人がするする場合が多い。

そうなると歌詞の文章的な内容より、どうれだけ曲にハマっているか、曲を活かしているかが判断基準になる。

自然、曲にハマるそこそこの雰囲気の言葉「翼広げて扉を開けて夢を諦めず明日に向かってあなたと生きよう」みたいな中で、曲にハマる言葉が使い回された歌詞の歌が量産される。そしてそれが売れないか?と言われれば、そこそこに売れることも少なくないのだ。

 

誰が作っても同じやん。そこで制作側は作詞家を「歌詞の質」より適当なコネ等で依頼し、より曲にハマった歌詞が採用され、あるいはアイドルが「今回は作詞に挑戦しましたあ」なんて言うのに押され、作詞家の作る歌詞の必要性ははみるみる凋落していった。

【続く】

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